「石川県」の名称誕生 150年

石川県民として、ちょっと興味ある新聞記事を目にしました。

2022年2月2日が「石川県」という名称が生まれてから150年目の年にあたるという記事でした。

明治初めの石川県は幾たびもの変遷をたどった歴史があり、1869(明治2)年の版籍奉還で加賀藩は「金沢藩」となり、続く1871(明治4)年の廃藩置県によってこの「金沢藩」が「金沢県」に改められ、翌1872(明治5)年2月2日に今の知事にあたる県令内田政風が県庁を美川町(現在の白山市)に移した時に名称を「金沢県」から「石川県」に変えたのが「石川県」の始まりです。

その後「七尾県」との合併を経て、1883(明治16)年に現在の県域に定まりました。

これら石川県のルーツについては約113万人いる石川県民の殆どが知らないと思います。そして今年の2月2日で石川県誕生150年ということも地元新聞や地元テレビのニュースを見た人以外は知らないでしょう。

本来ならおめでたい年なんですが、複雑な経緯があるが故に、石川県の行政側としては1872年2月2日をもって石川県が誕生したと明確に位置づけをしていないらしく、「県政100周年」の時には何某かのイベンドが行われたらしいのですが、新型コロナの感染拡大防止が重要なこともあって「県政150周年」を祝うイベントについては全く計画されていないようです。

50年先の「県政200周年」は2072年2月2日ということになりますが、その時は確実にあの世に逝っているので、「石川県」がそのまま存続しているのかを知ることができません。もしかしたら人口減少や社会情勢の変革により富山・石川・福井がひとつにまとまって「北陸県」になっているかも知れませんね。

かつて県庁があった白山市美川南町には現在「石川ルーツ交流館」が建っており、その一画に「石川県庁趾」と掘られた石碑が立っていますが、残念ながらまだ一度も「石川ルーツ交流館」「石川県庁趾」へ立ち寄ったことがないので、春になったらドライブがてら寄ってみたいと思います。